Category Archives: コラム

週刊子育てブログ21

複雑な視線

5才の娘は、お絵かきに没頭している。お姫様のドレスと髪をいかに長くするかがポイントらしい。
2才の娘もその隣で落書きしていたが、すぐに飽きて私にじゃれかかってきた。一緒に床を転げ回って遊んでいると上の子が、気が散る、とでも言いたそうな顔で何度もこちらを振り返る。
そのうちため息をついて「あ~あ。そっちばっかり遊んで、構ってくれへんのやもんなぁ」と呟いた。
「構ってほしかったの!?」あの視線はそういう意味だったのか、とひざに抱き上げても機嫌は直らず、唇を尖らせている。
衝撃的だった。
少し前までなら、自分も相手をしてほしいと思えば、お絵かきなど放り出して強引に割り込んできていたのに、ずいぶん複雑になってきたものだ。
生まれたばかりの頃は、要求があれば大声で泣いて知らせてくれた。どうしてほしいのだろう、と子どもの様子を見ながら考えたものだ。近頃では、欲しいものは言葉や行動で伝えるようになったので、私はそれに対応すればよいだけだった。対応するだけで忙しい。そのため、子どもの気持ちを察する努力を忘れていたようだ。しかし、いつまでも先回りして応じてやるべきだとも思わない。
今に、思うところがあっても何も言ってくれなくなる日が来るのだろう。そうなる前に、言っておく。
「言ってくれないとわからないよ」「わかってるって!」「わかってても出来なくなるんだってば」
急成長の子どもたちに追いつかれる前に乗り越えたい。

週刊子育てブログ20

託児付きの講座

「こういうのってあんまり泣いてたら途中で呼ばれたりするん?」ある講座のチラシの託児付という文字に目を落としながらDさんが言った。
「今まで私と離れたことないし、この子、絶対泣くと思う」
8ヶ月のお子さんは、人見知りが激しいらしい。「きっと最初から最後まで泣いてるわ」
子どもを泣かせてまで、自分がしたいことを優先するのはどうなのか。それに、預かってくれる人だってずっと泣かれたら大変だろう。
そんなことを心配しているのがわかった。私も、初めて託児付の講座に参加したとき不安だった。それで預かってくださる保育士さんに直接聞いたことがある。すると
「子どもさんが泣くぐらい、どうもないよ。そのときしか機会がないことは、気にせんと行ってきたらいい」と答えてくれた。その笑顔に勇気付けられた。
講座の内容が子育てと関係ない?そんなことにまで罪悪感を感じる必要はない。自分のアンテナがつかまえた情報は、今自分に必要なことなのだから、参加すればきっと何か収穫がある。
私も、託児付の講座に参加してみて、いつも子どもと一緒、テーマは子育てばかり、の生活に新しい風が吹き込んで、久々に一息つけた気がしたことを覚えている。
「だから、行きたいなら、絶対行ったほうがいい!!」
と、思わず言葉に力がこもる。
初めての託児は、ハードルが高いという声をよく聞く。けれど、次からはもっと楽になる。そして世界が広がっていく。

週刊子育てブログ19

どこ見てるの?

仕事がしたい。と思った。子どもは1才になったところだった。妹に子を見てもらって都市部まで面接を受けに行った。
きちんと化粧をし、スーツを着て、背筋を伸ばしてヒール靴で闊歩する。オムツや着替えで膨らんだマザーズバッグではなく、丁寧に書きあげた履歴書と筆記用具の入ったビジネスバッグを持って一人で電車に乗る。それは、久々に心躍ることだった。
さあ、働くぞ。意気揚々とはこのことだった。
しかし。面接は履歴書の家族欄を中心に展開された。「お子さんは誰が?」「保育園に預ける予定です」「病気の時は?」答えを用意していなかった。「でも、その代わり私は病気でも休みませんから」担当者は目もあげずに続けた。「見てくれる人は?この同居の方は?実家は遠いの?」「仕事を持ち帰ってします」言い募ったが、既に結果が出ていることはわかった。どこも同じだった。どんどん自信をなくしていった。
結局、出産後初めて決まったのは近場で、低賃金の職だった。資格もやる気も経験も関係なかった。そして、働き始めてまもなく子どもが伝染病になった。2週間も登園できないこととなり、職場に頭を下げた。
子どもの手が離れたら、とはよく聞く言葉だが、その前に自分の人生がこの手から離れていったのではどうしようもない、と絶望した。
その苦しい思いが膨大なエネルギーを生んで、私にあらゆる可能性を試させたけれど、答えはまだない。
焦らなくていい?でも探さずにはいられないのだ。

週刊子育てブログ18

「よい母」に

二つ年下の妹がいる。今では対等か、それ以上だが、幼い頃には自分が面倒をみてやらねばと思っていたし、仕事で忙しい母からもそれを期待されていた。
地域には妹と同学年の子どもがおらず、私が遊びに行くときは妹も一緒についてきた。コブつきでは輪に入れないこともあったがそんなときは二人で遊んだ。妹はかわいかったし、「よいお姉さん」でいることに誇りを持っていた。
ある日、いつものように妹に声をかけると「今日は○ちゃんと遊ぶ約束」けろりと言って、隣の地域へバスに乗って出かけてしまった。私を置き去りにして、いきなり行動範囲を広げた妹にショックを受けた。いつも妹の存在を前提に予定を立てていた私は、その日を一人で過ごした。
妹が別行動をとるようになっても、あの頃は、少しの寂しさを味わうだけで済んだ。
でも、今度は?
子どもにかかりきりになって、全く身動きがとれなくなると、それを考えずにはいられなかった。子どもは元気いっぱい育っているのだから、何よりだ。と不安を封じ込めようとしたが、特に出産直後は自分の全てが侵食されていくような恐怖に襲われた。
子どもが私の行動基準である時期は少なく見積もっても10年を下らないだろうと思えた。
「最近のコは、子育てぐらいでピーピー言って」子育てを終えた世代からの言葉だ。「子育てぐらい」だと見通せるからつらいのだ。
一時期を「よいお母さん」として生きても安心できる世の中であって欲しいと思う。

週刊子育てブログ17

何で?何で?

子どもは何かと質問が多い。下の2歳児は「これなあに?」上の5歳児はそれに加えて「何で?どうして?」
飽くなき追求に付き合いきれず、子どもからの問いに、わからないと答えて逃げることも多い。
先日、私が本を読んでいると「この子、誰?」と上の子が覗き込んだ。かわいいイガグリ頭の男の子の写真が目を引いたらしい。
「この子は○○くんというお名前で・・・」読んでやると、娘は真剣に聞き始めた。それは原爆で亡くなった子どもたちの記録だった。子どもたち一人ひとりについて写真があり、それぞれがその日、家を出て命を失うまでが記されていた。
開いていたページから読み始めたので、娘はそれを事故の話だと思っていたようだ。だから「ここに子どもがいますよって知らせなあかんかった」と言った。
少し迷ったが「人がたくさんいるのを知ってて爆弾を落としたの」と教えると驚いて「何で?」「何で?」次々と質問が飛び出した。しかし理屈で説明しても、子どもの問いに答えたことにならない。戦争、という言葉すら知らないために、幼い質問者は容易に根源に迫る。
「人を傷つけない。殺さない」みんなでその決まりを守る。なぜそんな単純なことが難しいのか。それを幼児に説明するなど空しいだけだ。
ならば最初から話すべきではなかっただろうか。「こんな怖いことが起きないように、一緒に考えたくてお話したの」そう言うと、「そやな」と娘も考え深い表情になった。

週刊子育てブログ16

家事と育児

家庭と仕事の両立、とはよく聞く言葉だ。
その前にもう一つ、傍目にはわかりにくいが、子育て中の私たちが両立していることがある。
それは、家事と育児の両立だ。育児は家事の一部などではないということが、実際、自分もやってみるまでわからなかった。
洗濯物を干そうとすれば、足元に子どもがまといつき、昼寝の子どもは掃除機の音に目を覚まし、子どもに付き合っていては夕食の支度に取り掛かることができない。家にいるのだから、どっちもできて当然だ、と思っている人には声を大にして言いたい。この二つは二律背反なのだ。
そのことに気づかず、これらを完璧にこなそうと追求すれば大変なストレスに見舞われる。もともといい加減な私でさえ最初はなんとかこなさねば、という思いがあった。為せば為る、と考え、試行錯誤の挙句、疲れ果てて挫折した。
しかし手のかかる子どもを育てていればその他のことが適当なのは全く普通だ。
外から帰ってくる相棒がそれを許さない?
もし、そうならば説明が必要だが、そこそこうまくいっている日常を、自分自身、よくやっている、と心から認めていなければ、相手に対する説得力もゼロである。
ところで、それは本当だろうか。何も言われていないのに頑張りすぎていないだろうか。
どう思う?って、帰ってきたら聞いてみよう。家事と育児、一人できっちりこなしてほしいと思ってる?
案外、苦労のもとは自分、だったりして。

週刊子育てブログ15

気持ちを話す

乳幼児健診の問診表の最後には、毎回次のような設問がある。
子育てをしているときの気持ちを次のうちから選べ。「楽しい、かわいい、疲れる、イライラする、不安、特になし」
さて、正解はどれだろう。と一瞬手が止まる。ありのままを書けばよいのだが、どうあるべきなのかをまず考えてしまう。
疲れてイライラしていてはいけないだろうか。子をかわいいと思うことはあるが、楽しいばかりではありえない。
母子手帳にも月齢ごとの記録欄に、子育てに困難を感じるか、という設問がある。初めてで唯一の子育てでは他と比較することもできず、家事や仕事との兼ね合いから来る大変さもあるので、これは一概には言えないよなぁ、とつぶやきつつ印をつけた覚えがある。。
ところでこの設問は、育児者のカウンセリングなどに役立てるためのものだそうだ。
健診時の面談は子どもの成長について具体的な疑問がある場合に質問や相談をするところだとばかり思っていた。その他に、自分の漠然とした気持ちの問題について話せる場だとは思いもよらず、それどころか、ちゃんと子育てしているかチェックされているように感じて身構えていたのだ。
もう5年も前のことだ。今となっては、当時の自分が何をそんなに過敏になっていたのか不思議だが、このようにあれこれ考えすぎて自分の気持ちを見失いがちな時期にこそ、話していれば心が軽くなったのかもしれない、と思う。

週刊子育てブログ14

不器用

朝、娘の髪を結んでやると、左右のはね具合が微妙に違う。やり直すと今度は高さが違う。自分でイヤになるぐらい不器用だ。時間がないのでそのまま送り出す。その娘が「明日は遠足だから、お弁当作ってね!」と嬉しそうに帰ってきた。
雑誌に載っているようなかわいいお弁当が作れないことを少々引け目に感じる。
私は料理を作るのが苦手だ。アイロンがけなんて、やればやるほど別の場所にしわをつくってしまう。裁縫だって嫌いだし、ミシンも使えない。
どうも私は、母親とはそういうことを上手にできなければならないものと思っていたらしい。今までできなくても全く頓着なかったくせに、子育てが始まってからというもの、自分の不器用さに気づくと軽い自己嫌悪に陥ることがある。
しかし、私の大雑把さ不器用さに、誰かが苦情を言うわけでもないのに、勝手に悩むのは損というもの。
お弁当の中身、「どうしよっか」と本人に相談すると、リストを作ってくれた。「たこういんな、さらだ、たまごやき、からげ」と書いてある。からげ?ああ、唐揚げか。「こんなのでいいの?」
少し拍子抜けして、自分が子どもの頃に母に望んだことは何だっただろう、と考える。家事がうまくできること、でないことは確かだった。物事に動じず、いつもゆったりそこにいてほしい。用もなく呼んだときも優しく返事をしてほしい。こっちを向いて話してほしい。
今日は帰ったら、遠足の話をたっぷり聞かせてもらおう。

週刊子育てブログ13

わたしの願い

七夕の願いに「○○をかしこく」と書いた我が家の5歳児。○○の部分にあったのは、その妹の名前だった。

ずいぶん清らかな願い事ではないか。何をそんなに悟りきっているのだ。自分の心配はいいのかい?と思ったら
「意地悪するのをやめてほしい」という意味で書いたそうだ。 遊ぼうとすると、片っ端からオモチャを取っていく妹に毎日悩まされている彼女にとっては切実な願いだろう。

意地悪というよりは本能のままに欲しがる2才児の、手加減を知らない攻撃にたまりかね、いつも泣きついてくるのは上の子のほうだ。
妹が「かしこく」してくれれば、自分は思いっきり遊べるというわけか。

なるほど、それなら納得。と、妙に安心した私だったが、いざ自分が短冊に向かってみると、思いつくのは「家族の幸せ」や「家族の健康」
それを、さらっと書いてしまってから、先ほど我が子に向けた問いを思い出す。

自分のことは? 家族を大切に思う気持ちは本当だし、そこに書いた願いも心からのものだ。しかし、子どもが書いたものと違って、その願いは直接には自分につながらない。
これでは少し寂しいような気がして、ごく個人的な願いも書こうとしたが、なかなか思いつかない。

しびれを切らした子ども達に「はーやーくー」と服を引っ張られた。

「もう一つ書きたいから待って」と言うと「願い事はひとつだけでしょ!」ごもっとも。

今年の七夕は終わったけれど、「わたし」の願いは何だろう。今も考えている。

週刊子育てブログ12

今が旬

夕食を作り、食べさせ、風呂にいれ、歯を磨かせて、今日も最後の山場を無事切り抜けた。やれやれ、やっとゆっくり座れる。と思ったら、待ち構えていたかのように下の子がひざに上ってくる。負けじと上の子も背中にぶら下がる。2才と5才で合計30キロだ。
「もう、しんどいからやめてっ!」子ども達を振りほどこうとジタバタしていると帰ってきた夫が「やめなさい!」と止めに入った。助かった、と喜んだのもつかの間、夫はきっぱり「順番こ、やろ!」そういう問題ではない。
「どっちか一人受け取ってよ!」と言うと、夫より先に子ども達が「いやー」と声を揃えた。子どもの相手をしない夫ではないが、平日の流れではどうしてもこうなる。「ほらな」夫は笑って「じゃ、ごはん食べてくるわ」と行ってしまった。
そして私は二人にまとわりつかれ、一日が終わる頃にはヘトヘトだ。特に下の子にはトイレへ行くにも追い回され、息をつく暇もない。
と、こぼしていると、末子が5年生になる知人は懐かしそうに目を細めた。
「今思えばその頃が一番充実してたわ。今なんて出かけようと誘っても友達とばかり遊んでる。あっという間やで」
そう聞くと過ぎていく時間が貴重に思えてきた。そうだ。忙しさに紛れているが、楽しいことも、嬉しいこともある。せっかくなら、今のうちにそれを十分に味わっておかなければ。
「だーいすきっ」何の脈絡もなくそんな言葉が聞けるのも今のうち。
ゆっくり大きくなあれ。